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花山院定教(かざんいん さだのり)は鎌倉時代後期の公卿。正二位権大納言。父は右大臣花山院定雅〔『尊卑分脈』によれば、花山院通雅の子という説もあるという。〕、母は不詳。 娘が邦良親王に嫁して康仁親王と邦世親王を産んだが、いずれの親王も皇位に登ることはなかった。 == 経歴 == 以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 弘安4年(1281年)7月29日、叙爵。同年12月29日、侍従に任ぜられる。弘安5年(1282年)1月14日、禁色を許される。同年4月8日、従五位上に昇叙。同年10月16日には右少将に任ぜられる。弘安6年(1283年)1月5日、正五位下に昇叙。同年9月12日、従四位下に昇叙。同年12月16日、右中将に転任。弘安7年(1284年)6月23日、従四位上に昇叙。同年11月25日、正四位下に昇叙。弘安8年(1285年)3月6日、豊後介を兼ねる。同年6月13日、従三位に叙される。右中将は元の如し。 正応元年(1288年)9月13日、参議に任ぜられる。右中将は元の如し。正応2年(1289年)1月13日、讃岐権守を兼ねる。8月7日、従二位に昇叙。10月18日、権中納言に任ぜられ、同月27日には帯剣を許される。正応4年(1291年)10月29日、正二位に昇叙。永仁元年(1293年)1月28日、権大納言に任ぜられる。永仁2年(1294年)2月30日、父定雅の喪に服す。4月28日に復任。永仁3年(1295年)6月23日、権大納言を辞退〔以後薨去するまで、前権大納言正二位のままであった。邦良親王が即位する期待を持っていた可能性がある。〕。嘉暦元年(1326年)、薨去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「花山院定教 (権大納言)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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